2021年08月31日
さ迷える日々
個展の時に2週間も自分の作品を見続けて、その問題点を検討し、どうすればよかったのかを考え続け、しっかりこれだという光明が見えた。と思った。それで忘れないうちに個展作品を手直ししておこうとやってみているのだが、思ったようにならない。なんだこれは?またまた暗闇ですか?参ったなあ。今月には蹴りをつけておこうと思ったんだけど泥沼ですわ。新しい実験もやるたびにイメージと違うほうにずれてきます。回し続けるしかないね。明日からは上野の森美術館アートスクール再開で忙しくなりますわ。






モラビト、帆布工房、ビュレのバッグ
ついに、モラビトが700円で投げ売りされてました。もともとエキゾチックレザーのバッグは確かに良いと思いますが、このモノグラムラインは安いビニールバッグにしか見えません。モラビトではこのシリーズをエコノミークラスと位置付けていますが、それでも値段はやたら高い。しかし現在でもシリーズは存続していてリサイクルショップでもこのバッグに5000円くらいの値を付けているところもありますが買う人いるのかしら?






こちらは帆布工房。会社は大阪に本社がある創業1963年の優美社。この帆布工房シリーズについてはHPには詳しく載ってないので何時から始まったのかはっきりしないが、それ程古くからこのブランドは無かった。このバッグは発売当初のモノらしくやたら目ったら凝っている。カバン底面に革の補強。取っ手も裏面と素材を変えてのあたる場所に革のアクセント。ポケットの開閉に革の持ち手。中もしっかり袋綴じされているので丈夫である。使った形跡はないので未使用の棚ズレ品。底の部分に変色があるので値段を高くできず、700円。現在のラインナップより圧倒的に個性的で手が掛かっている。今は売れているのでここまで手を掛けたくないのか、現代人はこのこれでもかというしつこさが嫌がられるのか、何処にでもあるラインになっている。僕はしつこいのが好きですけどねえ。









こちらはこの頃定番になってきた投げ売りされるビュレ。一世を風靡して広がっただけに飽きられるのも早いのかしら。僕はこのマシュマロレザーが好きだし、やたら凝ったデザインも好きなんですけどね、だぶれねーむの付いたバッグにもかかわらず500円です。気の毒。







こちらは帆布工房。会社は大阪に本社がある創業1963年の優美社。この帆布工房シリーズについてはHPには詳しく載ってないので何時から始まったのかはっきりしないが、それ程古くからこのブランドは無かった。このバッグは発売当初のモノらしくやたら目ったら凝っている。カバン底面に革の補強。取っ手も裏面と素材を変えてのあたる場所に革のアクセント。ポケットの開閉に革の持ち手。中もしっかり袋綴じされているので丈夫である。使った形跡はないので未使用の棚ズレ品。底の部分に変色があるので値段を高くできず、700円。現在のラインナップより圧倒的に個性的で手が掛かっている。今は売れているのでここまで手を掛けたくないのか、現代人はこのこれでもかというしつこさが嫌がられるのか、何処にでもあるラインになっている。僕はしつこいのが好きですけどねえ。
こちらはこの頃定番になってきた投げ売りされるビュレ。一世を風靡して広がっただけに飽きられるのも早いのかしら。僕はこのマシュマロレザーが好きだし、やたら凝ったデザインも好きなんですけどね、だぶれねーむの付いたバッグにもかかわらず500円です。気の毒。
2021年08月29日
台湾三峡のレンガの街並み
またまた掃除してたら懐かしい写真が出てきました。
以前勤めていた中高一貫校の高校2年生の修学旅行が台北だった。これは初代校長が元台湾TDKに勤めていた人で鶴の一声で台湾になった。そんなわけで僕も都合6回ほど台湾を訪れている。それで生徒の祖父たちが台湾に住んでいて、生徒が古い町並みを調査したいという要望に応えて、日本統治時代に三井財閥によってレンガの集積所として作られた三峡の街に連れて行ってくれた。当時はまだレンガだけで作られた日本人街が続く道が1キロくらい残っていて、これは素晴らしい歴史遺産だと思っていたのだけれど、開発が進むにつれて台北のベッドタウンになりマンションが立ち並ぶ街になってしまった。これは26年位前の写真でまだ建物が残っていた写真。市場では冷蔵設備は無く魚も肉もその日のうちに売り切っていた。鳥は生きたまま鳥かごに入れられて、お客さんがこれというと、その場で首をはねて、手前にいる子供が羽をむしって手渡してくれる。















以前勤めていた中高一貫校の高校2年生の修学旅行が台北だった。これは初代校長が元台湾TDKに勤めていた人で鶴の一声で台湾になった。そんなわけで僕も都合6回ほど台湾を訪れている。それで生徒の祖父たちが台湾に住んでいて、生徒が古い町並みを調査したいという要望に応えて、日本統治時代に三井財閥によってレンガの集積所として作られた三峡の街に連れて行ってくれた。当時はまだレンガだけで作られた日本人街が続く道が1キロくらい残っていて、これは素晴らしい歴史遺産だと思っていたのだけれど、開発が進むにつれて台北のベッドタウンになりマンションが立ち並ぶ街になってしまった。これは26年位前の写真でまだ建物が残っていた写真。市場では冷蔵設備は無く魚も肉もその日のうちに売り切っていた。鳥は生きたまま鳥かごに入れられて、お客さんがこれというと、その場で首をはねて、手前にいる子供が羽をむしって手渡してくれる。