2024年05月28日
和紙に描くための細字万年筆
ペリカンジャパンのマスター販売員である山本さんは元々は丸善の万年筆のカリスマ店員だった。その小さな手帳には600人の顧客の名前と連絡先がかいてあり、ひとたび山本さんのお眼鏡にかなう万年筆が発売されるや、「これは持っておられた方が良いと思いますよ」と連絡が行く。当然狂ったように売れる。その山本さんが丸善を定年退職した後ペリカンジャパンに移る。その時万年筆の神様セーラーの長原さんが「万年筆いうんは、人で売るんじゃ。丸善はえらいもったいないことをしよる。」とおっしゃっていた。その山本さんの取材に行った時にペリカン1000は皆さん3Bを買われるんですけど1000が良いのは細字なんです、とおっしゃって書かせてくれた。目から鱗でそのバネ、しなり、柔らかさが絶妙である。御多分に漏れず僕が持ってる1000は3Bである。それでそのままマルイに直行して「ペリカン1000の細字ある?」と聞いたら、「ちょうど良い時に来ましたねえ、実はペリカン1000と同じ細字ペン先が付いた限定品のヘラクレスがあるんですよ。」そりゃあ良いけど高いでしょ!それがべらぼうに安いんです。確かに安い、しかし当然普通の1000よりずっと高い。しかし金属軸の重さは悪魔的に良い。迷っていると、「え!良いんですか?他に電話しちゃいますよ!」と、兄弟で絶妙なリズムで攻めてくる。「じゃあ、電話しますね!もう手に入らないだろうなあ!」ということで籠絡されたのである。それをそのままフルハルターの森山さんの所に持って行って超極細まで研いでもらうのである。出来上がってきたものは超極細でありながら書きやすい。いろいろな調整師の方に極限の細さまで作ってもらったモノはあるがケント紙のような硬い紙では真価を発揮するけど和紙ではインクを吸われてインクが出ない。森山さんのは和紙でも途切れない。それで和紙の小品にはヘラクレスが欠かせないんです。
2024年05月27日
沖縄から届いたスイカ
スイカが届いて驚いた。スイカなんか貰ったことが無い。それも沖縄から送られてきた。沖縄に知り合い居ないよなあと思って名前を確認したら、渡口万年筆の渡口さんからだった。6月10日からのオーギャラリーの個展が30回目を迎えるので、そのお祝いです、との事だった。個展のお祝いにスイカを貰ったのは初めてですが、嬉しいですねえ。沖縄のスイカは食べたことが無いです。びっしり冷えてどっしり重いです。渡口さんの所に取材に行ったのはもう10年以上前で趣味文でもまだ連載が4ページの頃でした。先代の苦労して始めた万年筆店の話から、其れを受け継いだ2代目の戦後のご苦労まで、実に濃い取材が出来ました。この貴重な記録は何時か万年筆の達人パート2に記録されると思っていたのですが、まさかの出版社の倒産。万年筆の達人自体も差し押さえ物件となり廃棄処分。世に出ることはありません。せっかく語り継ぐべき物語として残したつもりだったのが砂上の楼閣となってしまって、本当に辛いです。なんとかこれまで書いたものを決定版として残しておきたいんですがねえ。
2024年05月24日
漆のきゅうしつ技法の人間国宝、大西勲さんの逝去
大西さんからの着信履歴があって、いつも個展のDMが届くと連絡をくれるので、返信したら娘さんが出られたのでお父さんに変わってもらえますかと言ったら、実は父は今月の10日に亡くなりまして・・・・・驚いたのなんの。去年の12月の下北での個展の時も電話を戴いて「フルヤマさんは糖尿なんだから体をいたわらないと駄目だよ」と言われて、大西さんは元気だなあ、と思っていたのにまさかこんなに早く逝くなんて。79歳でした。
大西さんとの出会いは23年前に僕が結城紬の冊子の編集をやっていた時に職人紹介で下館に人間国宝が居るからと言うのでお訪ねしたのが始まりです。玄関でお会いしたらグレイの髪を総髪にして首にネッカチーフを巻いて現れたお洒落な方でした。聞き取りを初めて出身は和歌山なのに何で筑豊に行ったのですか?と聞いたら「怒りの葡萄です」との返事。これに参ってしまいました。僕の人生の原点はこのスタインベックの作品で、僕はまずジョンフォードの映画で見ました。大西さんは小説が先で、これですっかり盛り上がりました。怒りの葡萄は飢饉が続く東の大地から夢のようなカリフォルニアに集団移住するのだけど結局ユートピアなど無かったという話です。あなた漆の取材に来たのに僕の話ばかり聞いて良いの?と言われましたが、大西さんの人生の方が100倍面白いから良いのですと答えました。
大西さんの父親は大工で和歌山では食べていけなくなったので当時石炭景気に沸く筑豊に行くのですが、現実は厳しくて、さらにお父さんが作業中屋根から落ちて障害を負い、一家はどん底の生活を送ります。どうやって生きてたんですか?と聞いたら盗んで食べてましたとのこと。吃音があるのと炭鉱の人間と言う事で学校に行くと虐められるのでいつもボタ山に行って一人遊びしてました。そのボタ山にはちょうどいい高さにクレーンがあって皆ここに自殺に来るわけです。その自殺者の38人を最初に見つけて駐在に届けたのが大西さんで、「これが僕の原点です」と言われたときにはしびれてしまいました。それからめちゃくちゃ面白い人が居るとフルハルターの森山さんやカバンの藤井さん、小松君をつれて大西さんの所に行くのですが連れて行った人は、これこそわれらが理想とする究極の職人ですと言う事になるわけです。
きゅうしつ技法と言うのはヒノキの木を薄くスライスしてそれを曲げてわっかを作り、50程重ね合わせて接着してから削り出し漆を塗ります。漆塗りの時に大西さんは電気を使わず、蝋燭の灯だけで漆を塗り、研ぎあげます。1年に2個か3個しかできません。歴史的には天皇が使う為にある技法です。僕は自分が実にまともな人間なので、こういう変わった人が大大大好きで、その中でも大西さんは横綱だったのですが、寂しくてたまりません。大西さんの人生はここからが狂ったように面白いのですが明日は名古屋教室なのでもう寝ます。
大西さんとの出会いは23年前に僕が結城紬の冊子の編集をやっていた時に職人紹介で下館に人間国宝が居るからと言うのでお訪ねしたのが始まりです。玄関でお会いしたらグレイの髪を総髪にして首にネッカチーフを巻いて現れたお洒落な方でした。聞き取りを初めて出身は和歌山なのに何で筑豊に行ったのですか?と聞いたら「怒りの葡萄です」との返事。これに参ってしまいました。僕の人生の原点はこのスタインベックの作品で、僕はまずジョンフォードの映画で見ました。大西さんは小説が先で、これですっかり盛り上がりました。怒りの葡萄は飢饉が続く東の大地から夢のようなカリフォルニアに集団移住するのだけど結局ユートピアなど無かったという話です。あなた漆の取材に来たのに僕の話ばかり聞いて良いの?と言われましたが、大西さんの人生の方が100倍面白いから良いのですと答えました。
大西さんの父親は大工で和歌山では食べていけなくなったので当時石炭景気に沸く筑豊に行くのですが、現実は厳しくて、さらにお父さんが作業中屋根から落ちて障害を負い、一家はどん底の生活を送ります。どうやって生きてたんですか?と聞いたら盗んで食べてましたとのこと。吃音があるのと炭鉱の人間と言う事で学校に行くと虐められるのでいつもボタ山に行って一人遊びしてました。そのボタ山にはちょうどいい高さにクレーンがあって皆ここに自殺に来るわけです。その自殺者の38人を最初に見つけて駐在に届けたのが大西さんで、「これが僕の原点です」と言われたときにはしびれてしまいました。それからめちゃくちゃ面白い人が居るとフルハルターの森山さんやカバンの藤井さん、小松君をつれて大西さんの所に行くのですが連れて行った人は、これこそわれらが理想とする究極の職人ですと言う事になるわけです。
きゅうしつ技法と言うのはヒノキの木を薄くスライスしてそれを曲げてわっかを作り、50程重ね合わせて接着してから削り出し漆を塗ります。漆塗りの時に大西さんは電気を使わず、蝋燭の灯だけで漆を塗り、研ぎあげます。1年に2個か3個しかできません。歴史的には天皇が使う為にある技法です。僕は自分が実にまともな人間なので、こういう変わった人が大大大好きで、その中でも大西さんは横綱だったのですが、寂しくてたまりません。大西さんの人生はここからが狂ったように面白いのですが明日は名古屋教室なのでもう寝ます。