2020年04月06日

C・W ニコル大兄逝く

ニコルさんとの出会いは教員在職中に1か月休みを取って「飛鳥」クルーズの水彩画講師として1か月アジアクルーズに参加した時です。この時ニコルさんは娘のミワコさんとトークショー参加で乗っていました。食事、ピアノバー、メインバーと毎日たどる道が一緒なので4日目くらいから食事から一緒になり同じくトークショーで乗っておられた塩田丸男ご夫妻、元海軍士官夫妻、と延々と毎日飲みに飲みました。完全に全部皆勤したのはニコルさんと僕だけだったので、ニコルさんが本に書いた自伝的なお話は全部ご本人から聞きました。至福の時間です。ニコルさんのお話を聞いて、いったい自分は何をやってきたんだろうと根本から人生を考え直す事になりました。他にも要因はいろいろあったのですがクルーズから2年後に学校をやめてフリーになりました。
 その2年後にまた「飛鳥」からもう一度アジアクルーズにニコルさんと乗らないかとお誘いがあり2つ返事で参加しました。この時ニコルさんは1人で乗ってきたので前回の抑制役だったミワコさんが居ないため、初めから弾けておりました。食事、ピアノバー、メインバー、の次にぐでんぐでんになったニコルさんを部屋まで送っていくと、「仕上げをやろう!」とコップに氷を5個だけ入れてウイスキーをコップぎりぎりまで入れて最後の乾杯をするのです。前回にニコルさんの人生を聞いて、下船後ニコル本は全部買って読みました。相当な知識の補給をしてきた僕は細かいところまで根掘り葉掘り聞いて相当コアなニコルマニアになりました。
そのころ世間で言われていた国際的日本人の模範こそニコルさんであると思い、ニコルさんが荒れ果てた日本の森に対して警鐘を鳴らすために作ったアファンの森で「アファンの森で語る会」を主催して学生から社会人、そして人生の大先輩達を一堂に会してニコルさんの講演会を毎回テーマを絞っておこなって世代を超えた大きな関係を作り出そうとしました。その会は11年続くのですが後半にはニコルさんが70歳を越えていたのと、3,11の津波で流された小学校の再建の為、ニコルさんは校長を引き受け、さらに子供たちの心のケアーの為にアファンの森に招待する活動を開始したため、それまでも超過密スケジュールだったのが超超超過密スケジュールになり、語る会は残念ながら継続できなくなりました。当初の予定では僕はその頃には億万長者になっており、いくらでも支援できると思っていたのですが、どういうわけか絵が売れず劇貧乏のままであるため有益なサポートもできませんでした。
 現在C・W ニコルとは誰ですか?と聞いても森のおじさんとか、ハムの人とかしか答えが返ってきません。ニコルさんに以前、大兄は様々な肩書を持っていますが1つだけと言われたら何と答えますか?と聞いたら間髪をいれずに「オレは小説家だよ」と言いました。その小説家であるニコルさんの本は今すべて絶版です。この頃では古書店に行っても手に入りません。少なくても開高健氏が傑作であると太鼓判を押した自伝的な小説「魔女の森」代表作である「勇魚」3部作、エッセイ集は復刻して欲しいです。絶対に歴史の中に埋もれさせたくありません。
 語る会が終わって8年になります、その後6年ほどは黒姫に通っていたのですがニコルさんにはお会いできてなかったです。船で朝の挨拶を
「兄貴、おはようございます」というと、ちょっと鼻に皺をよせて「押忍」と答えてくれたのがもう聞けないんだなあ、まだ会えると思っていただけに何とも心の底から残念でなりません。おもいでの写真を載せます
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posted by entotsu at 01:08| Comment(0) | お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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